INTERVIEW

竹中木版 竹笹堂 5代目摺師

竹中健司Kenji Takenaka

「デジタル化や工業化が行きすぎて綺麗すぎておもんないっていうところに、手作りのものが見直されてきたっていう時代やと思います。」

板に1mmという微細な世界で小刀を用いて絵を描き出す、木版画。1200年もの歴史をもつ、世界最古の印刷技術でもあります。

そして江戸時代に「今の世の中」=浮世を描くものとして生まれたのが浮世絵。木版画の技術と掛け合わせることにより、筆で絵師が描く一点ものから広く一般大衆に届く身近なものとして爆発的に普及。ヨーロッパなど海外に衝撃を与え、一大ブームを巻き起こしたその独特な色彩や構図は、早く多く作り、絵師・彫師・摺師(えし・ほりし・すりし)が生活を成り立たせるための効率化や売れるための工夫を重ねた結果、辿り着いた表現でした。浮世絵は、当時はアートではなく、雑誌やポスターに近い、誰にでも開かれた商業的なメディアだったのです。

そうした文化の元々の背景を理解し、今の世の中に求められるものとして木版画を生み出し続けるのが、京都の竹笹堂。明治24年(1891年) の創業以来、数えきれないほどの依頼に答え続けてきた彼らに「僕のヒーローアカデミア」を託した今回のコラボレーション。2年の歳月を経て完成したのは、過去から地続きでありながら、今を、これからを生きる我々のための英雄の姿でした。

歴史や地域性、伝統技法と個々の解釈やイマジネーション、原作とオマージュ……多様なレイヤーが重なる一枚は、眺めるたびに新たな気づきを与えてくれます。
担い手である5代目竹中健司氏(全体監修・摺師)と野嶋一生氏(絵師・彫師)の語りから、目にみえる色彩以上に幾重にも重なる深みと厚み、その原点にあるものを紐解きます。

浮世絵の手法に則った、オリジナルの絵をつくる挑戦

まずは、今回のプロジェクトの依頼を受けたところから、どのように形にしていったのでしょうか?

竹中:「まずご依頼をいただいた時、描くシーンは最終決戦イメージで『3枚続き』にしてくださいということでした。緑谷出久・爆豪勝己・轟焦凍、それぞれの絵を3枚並べたときに繋がるように作ってくださいということですね。
もうひとつ、アニメと同じものじゃなくて、ヒロアカであるけども、今までにない形で、完全オリジナルで(絵を)作ってください、ということ。
じゃあ僕らは人物が主体となる、浮世絵の木版画を作ろう、と。今まで作られてたいろんな浮世絵師のイメージを持って、どれが一番合うんだろうか、スタイルをどれにしようかっていう時に、(キャラクターの戦闘ポーズである)形を決めなあかんかったんで、僕がモデルになって形をとって絵師の一生(かずき)に描いてもらう、浮世絵師でいうと「芳年(よしとし)」風でいくことにしました」

「芳年(よしとし)」風とはどういうことですか?

竹中:「人物画で人気の師弟であった国芳(歌川国芳・うたがわくによし(1797-1861))と芳年(月岡芳年・つきおか よしとし、天保10年〈1839年〉- 明治25年〈1892年〉)は、国芳までは人物の手順の描き方に基本があったようです。歌川系はこう、北斎系はこういう風に描く……という基本の型が決まっていて、私たちが見るとほとんど一緒なんです。顔の形もずっと一緒。その後、芳年の時代に西洋の画風が入ってきて、モデルを使うようになるんです。モデルを使って描くから、芳年は動きに臨場感がある。で、今回はモデルを使って人物の形を決めよう、芳年の採ったやり方で行こう、と決めたということです。浮世絵の歴史からそのエッセンスを反映したということで、芳年の絵の中の人物のポーズをそのまま写した、ということではありません」

キャラクターそれぞれに異なるポージングはどのように決めたのでしょうか?

竹中:「アニメを見て、この子らの戦い方を覚えて、タイプ別に考えていきました。デクくんやったら、いろんな個性”を継承しているので、アルティメット系の形。色々合体してる総合格闘技みたいな感じで、アクロバティックでもあるし、伝統的でもある。轟くんはそば好きだったり日本の和の感じがある。なので、伝統的な空手の形に。爆豪くんはアクロバティックなんで、スノーボードで空中を飛んでる感じのイメージで作ってあります。僕が武道やスノーボードをしているので、その感覚でモデルとしてポーズをとり、最終的な形を決めていきました」

その他に、「浮世絵」として描くにあたって意識されたところはありますか?

竹中:3人の顔を浮世絵の特徴を持った感じで描くために、線や色は工夫していますね。この黒い輪郭線があるんですけども、これは浮世絵ぽいというか、今の描き方ではない線の感じなんですね。太なったり細かったりしてる。カクカクしてたりとか、ストレートじゃないんですよね。昔は筆で描くんで。筆は細いところ、太いところと強弱を持っている。その力の加減を見せるっていうのができる。綿々と続いた日本の技やから、この線が出る。あとはこのぼかしも、木版画独特ですよね。今回、彫師の一生が絵師も務めてますけど、今までに自分が彫ってきた浮世絵の木版画の線を考え、描いたのがこの形なんです。その後、僕が江戸時代の浮世絵木版画らしい色を少し考えつつ、この3人のカラーイメージを持って現代に合わせた色に仕上げていきました。

あとはさらに、摺師である僕のことを考えて、僕が摺りやすいように彫ってくれています。

摺りやすいように、というのはどういうことなんでしょうか?

竹中:味わった者しかわからへんところがあると思うので、表現にするのが難しいのですが……何かが違うんですよ。“摺りやすい”版というのがある。気が優しいというか、尖ってないんですよ。摺らしてあげるよ、というような感じです。摺るのが楽というか、余計な負担がない。

同じものを同じように摺るため、版木・絵の具・ばれん、様々な要素を身体で調整する

様々な色はどのように摺り重ねていくのでしょうか?

竹中:「同じ色に対しては、100枚とか200枚とか必要な数を一気に摺ります。同じ色を作らなあかんので、ちょっと時間置くと色が変わったりしますので。変わらないように摺るっていうのがまず大事。もし(扱いが)下手くそやったら、版木が反ってきてしまったりするんですよ。版の扱い、絵の具の扱い、ノリの扱い、ばれんの扱い。そうした道具全部の扱いと、あと一番大事なのは僕の機嫌ですね(笑) そういったものを全部考えながら、100枚同じようになるように摺っていきます」

背景に琳派の要素と自分のオリジナリティを反映し、作品の世界観を高める

背景も特徴的ですね。

竹中:人物たちの背景は、最終決戦をイメージしています。僕は背景を作るの好きなんですが、爆豪が好きな人は爆豪を真ん中に置けるように、デクが好きな人がいはったらデクを真ん中に置けるようにって、どこにどう置いてもいいように考えて、幾何学に作りました。それぞれ、少しずつキャラクターのイメージに合わせて形状を変えて表現しています。
 実は、ここには京都の工芸の要素も含めています。京都の芸術に『琳派』という流派があるんですが、屏風に描いた絵の後ろの背景が金箔を押してはるだけとか、同じモチーフが連続してるだけとか簡素なもの。それは、その屏風の前にあるものを目立たすようにしてあるという作りなんです。

竹中健司さんのオリジナル作品「TORII」
竹中健司さんのオリジナル作品「TORII」

要素を削ぎ落としてミニマムに仕上げているところは、どこか、竹中さんオリジナルの木版画の画風と通ずるところがあるように思いました。

竹中:僕の絵は主役が入ってないんです。わざと主役入れてへん理由は、買わはった人が主役なんで、買って自分を置くっていうイメージにしてあるんですよ。そういう思いでやってたわけじゃないですけど、結果そうやったなと思って。全部描き入れると面白くないから描き入れてない。『お前こうせいや』っていうのが好きじゃないので。友達と『こういうのどう?』とか言って、みんなで喋って主人公作っていくっていうのが僕の版画の作り方……まあ僕の思想ですよね。
哲学的な感じで版画ができあがってるんで、主人公がない。ということは、(僕の絵は)背景として合う。
 今回は僕の作品に、デクくんとかのヒーローを入れたっていうことなんです。なので、背景に僕独自のものが入ってるのは確かです。

ヒロアカを描くことは“令和の浮世絵”そのものである

木版画や浮世絵の歴史について、教えてください。

竹中:いまでは“絵”として知られる木版画は、実は世界最古の印刷技術です。そして印刷の始まりは、多くは宗教から始まります。例えば仏教であれば、本尊にある仏像は持って帰れませんよね。持って帰れへんかったら、紙に写して、持って帰って自分の家で見るための役目を補うものが生まれるわけです。その仏画というのは拝む対象であり、つまりスター、自分がなりたい存在である。それが、その後そのまま本の出版という形に変わっていく。
 さらに時代が進み江戸時代に入ると、絵が描かれた出版物(本)から、絵だけを取り出そうという話になります。お茶屋の女の子や歌舞伎役者、憧れの存在を木版画にしたものを買って帰って、『ああ素敵やわ』と眺めるようなブロマイド。簡単に言うたら、それが浮世絵の始まりです。

今回のヒロアカコラボは、浮世絵という文化からみて、どのような位置付けだと言えますか?

竹中:「流れとしては、そこから生まれた『北斎漫画』(※2)を手本にして、(その後)いろんな漫画ができていきます。そこから発展して、アニメまである今現在に至った。
だから、アニメも漫画も浮世絵からずっと続いてるものなんです。
今回は、描く対象が歌舞伎役者とかじゃなくて、世界中みんなが憧れるヒロアカだった。それを木版画にしたっていうことになるんで、まさに同じ浮世絵の流れです」

※2 『北斎漫画』は江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎が絵手本(絵を習う人のためのスケッチ集のようなもの)として刊行した画集。

一枚500円という制約から生まれた浮世絵の画風

ダイナミックな構図や色あいなど、浮世絵の特徴的な画風はどんな背景から生まれたのでしょうか?

竹中:江戸時代の浮世絵は、そば一杯の値段だった。当時やったら500円くらい。浮世絵木版画ってそんなもんやったんですよ。500円で売るものだから(商売として利益を上げるためには)100円とか200円ぐらいで作らないといけない。色の数だけ彫刻して版木を彫らなければなりません。40色であれば、板に裏表と彫るから版木が20枚必要。材料となる桜の木も安いもんではないので、それだけで材料費がかかってしまいます。さらに摺るにも彫るにも時間がかかるので、それでは制作費が合わない。
……とすると、やっぱり色数は少なく8色とか10色以内で収めて作る方がいいよねってなりますよね。で、売ることを考えると、小さくてしょうもないもん作ったら何もウケへんので、その時の絵師の北斎さんとか、みんなが構図をすごく大きく見せたりとか、ぱっと見た瞬間、思いがバタって入るように作らはった。そこから、あの構図の大胆さができたんです。で、そのポーズの大胆さが、写実的に描いてた西洋にとっては『なんやこれ』ってなるわけです。デフォルメしてあるし、影がないやんみたいな。『日本はずっと太陽が照ってるの?』って勘違いするくらいに、全然違うやり方(描き方)をしてた。
浮世絵木版画が商業印刷がベースであったために、大胆にデフォルメして作られたから、世界中にウケたっていうことなんです。(工程を)簡単にするためにすごい絵になるから「浪裏(なみうら)」(※3)っていうあの有名な絵ができた。8色しか使っていないけど、世界中で一番売れてる版画なんですよね。安く簡単に、なおかつすごいもの。その考えを持って色の数を減らして、僕らは考えるんです。

※3 葛飾北斎《冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」》
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/246760

木版画しか印刷方法がなかった時代。包装紙まですべてが手摺りだった

木版画という伝統技法は、京都という地域と密接な繋がりがあると聞きました。

竹中:木版印刷しかなかったんで、昔は。印刷物って、木版で作るしかなかった。
ということは、お菓子屋さんの包装紙とか団扇、扇子、着物……全部“印刷”されてるものは木版なんですよ。
それが、昭和に入って機械印刷が台頭してきたときに、木版印刷がいらんようになったので、どんどん日本全国の摺師・彫師がいなくなった。
そうすると、京都はお菓子屋さんの量が違いますよね。もちろん地方でも木版が残ってるところはあるんですけど、お菓子屋さんが100軒あるのに対して、10軒しかなかったら(木版工房も採算が厳しくなってくるなどの理由で)機械印刷が良いということになってくる。僕の父の時代には神戸や大阪にまだ組合があったりしたんですけども、今は京都と東京だけです。

あとは、深く文化を守らなあかん京都の場合、300年とか400年クラスの店がなんぼでもいるんで、そのお菓子屋さんが『特別なものは木版印刷で残したい』っていうのがあるんですよ。例えば機械印刷であるインクの匂いがお菓子につくのが嫌だ、とか。木版印刷の場合はお菓子に匂いがつかないし、上等なもんは木版印刷でという料理屋さんとかお菓子屋さんがある。うちは僕で5代目ですが、京都で僕らがまだこの仕事してる理由は、その仕事をまだ代々続けてやってるって話なんです。お寺さん、神社さんのところには昔から使われた版木がいっぱいあって、それをまた修復、復刻する仕事も京都にはあるんです。

「受け継いだものを流さないといけない。それが僕の役目やから」

古都としての伝統を日常の中に今も色濃く残す京都だからこそ、木版画の需要があり、残ってきたということですね。

竹中:うちはそれに加えて、浮世絵の木版画を作る仕事、今回のような新しいタイプの依頼で作る仕事、自分自身でオリジナルを作ってやっていく仕事。それと、『なくなってしまった仕事をもう1度復興させて、形を変えて売る』という仕事をやっています。
例えば、和紙のブックカバー(※4)っていう名前を付けていますが、実際は千代紙っていうものなんです。『木版採集』(※5)っていうシリーズがあるんですけど、昔マッチ箱も木版やったんで、うちではそういう昔あったものを、今では別に必要ないけど、形を変えて、技術をなくさないために作って販売してます。

「必要がない」。それでも、残す理由はどのような思いから?

竹中:僕らが木版印刷を発明したわけじゃないんで。昔からあるものを今、“間(あいだ)”として受け継いでるだけですよね。そしたら、その受け継いだものをもう一回(未来に)流さなあかんので。それが僕の役目やから。一度はなくなってしまったものも、(そのことを僕がわかっている)今のうちに復興させて次の未来に渡せば、また蘇ってうまく流れていきますよね。その役割やなと思って、そういうことをしています。……ヒロアカでいうと、オールマイトがデクくんに引き継いだ「ワン・フォー・オール」の“個性”を代々継承してきている話に通ずる面もあるかもしれませんね。

身体に密着し、自然の中に「在るもの」に依拠する「工芸」の世界

先ほどの「摺りやすい彫り」のお話にもありましたが、木版画は身体的なものであるというか、身体に紐づいてるものだと感じます。

竹中:紐づいてると思います。何百枚と摺るには時間がかかるので、スポーツマンやと思ってますから。それぐらいしんどいですよ。何すんのも。集中しなあかんし。身体的な要素は結構ありますね。
 今回は一枚につき一人を描いた3枚続きの絵ですが、これは大きい紙に3人摺ればいいかというと、浮世絵の考え方、日本の考え方では、そう摺ることはないんです。というのは、紙がもうこのサイズに決まってるんです。人が摺るとき、これぐらいがちょうど摺りやすい。なので、3枚続きのサイズであれば、こう連続するように作るのがセオリー。
 あと、人間国宝・九代目岩野市兵衛氏の漉いたものをはじめ、越前和紙を使っているのですが、これは一枚一枚手漉きで作ったもの。今回は、その一枚を半分のサイズにして摺っています。これは、肩幅なんです。これ以上大きい和紙はうまく漉けない。すべて伝統に基づいて作っているし、このサイズがすべて基本。木版画は、このサイズが(絵を)摺りやすいからこの和紙の半分のサイズ。そして版木も、一番ポピュラーなヤマザクラの木の幹がこれぐらいだから、このサイズ。全部、あるものの形で作られている。無理してない。無理してガーッと変えたりはせず、自分があるがままに使えるようにという形で作られてるものが(今に至るまで)続いてる。あるもの、自然をそのまま使っていくというのが、日本の感じなんです。

木版画は不安定な仕事。不安定を安定させ、“いい加減”に合わせていく

職人として続けるために、必要なものは何だと思いますか?

竹中:ありすぎないことかな。結果、ありすぎる人も戻ってくるんですよ。めんどくさいものにやっぱり戻ったりする。安定してる時にジェットコースター乗るけど、お金ない時にジェットコースター乗らないでしょ。もう不安定な時はね、安定したくて。安定してる時は不安定になるように。
 この仕事は不安定な感じでやっていくんで。(紙がズレないようにするために版木につけられた置き場所の目印=「見当」を指差して)この「見当」っていうのが、「見当外れなことを言うな」の語源になるんですよ。ここがズレたら絵にならんっていう意味で、見当外れなこと言うなよっていう。ただただ、ここに合わせるだけで、ズレんようにしとくんですよ、髪の毛1本も。これがズレたらもう終わりなんですよ。ちょっとずれたら、ここ(木を)打ち込んで、ちょっとずつちょっと直したりとかして摺っていく。
その塩梅も季節によって変わったりするし、僕の機嫌によっても変わるし、紙の濡らし方によっても変わるし、もう全部によってこれがどんどん変わっていくんですけど、それを“いい加減”に合わしていくっていう。

身体的で、自然由来だからこそ、不確定要素が多いんですね。木版画を完成させるためには、その調整をしていかないといけない。

竹中:すごい不安定な仕事なんです。不安定を安定させていくみたいな感じになるんで、すごい疲れます。若い時は、疲れてすごい嫌になります。だっておもんないから。でもそのうちちょっと抜ける時があるんですよ。抜けてきて、めちゃくちゃ綺麗に摺れる時って、『(自分)天才!』とか思うんですよ。でも、また引っかかって……っていうのを続けていくうちにうまくなっていく。『ムカついた』とか思ってたら、(職人として)残っていける。自分が追求したくなるっていう時期が来ます。でも、これっていつも言うんですけども、木版画だけじゃなくて、カメラの方もインタビューの方もパソコンの仕事の方も、営業の方も、『いやや!』って言っても突っ込んでいってまたいった、っていう連続をして一流にならはるのは、木版画もどの仕事も僕は一緒やと思います。

すべては“線”から始まる。一本一本が美しいように、描く

一般的には、木版画の世界は、絵師・彫師・摺師が分業だと聞きます。竹笹堂は一貫体制をもつめずらしい工房であり、野嶋さんも彫師を主担当としながらも、今回絵師も彫師も担当された。その立場で、どのようなところに気を遣われて描くのでしょうか?

野嶋:僕らは絵師であり彫師であるので、彫師が一番力を入れるのってこの輪郭線、いわゆる『オモハン』と呼ばれている線の彫りなんですけど、彫りをした時に一番いい線になるように引いています。足を描くというよりは、一つ一つの線が足を構成していく。この一本一本が独立して美しいように、ということは考えて描いてますね。
 竹中も言う通り、木版画が身体的であるというのは、まさにそうやと思ってて。新人の時は、とにかく小さい円を連続して彫り続けるような練習をするんです。この練習をしてる中で、最初は『ここはこうだからこうしよう』みたいに考えて、意識的なことが先行するんですけど、それを重ねていくと体が勝手に先に動くっていう風になったりするので。体に入ってきてなんぼっていう感じです。服のシワというのは身体がどういう風に動いているのかと呼応して入ってくる線。ヒロアカはアクションのアニメなので、そこは力を入れて描きました。

線から始まるということでしょうか? それはデッサンやイラストを描くのとは異なるアプローチですか?

野嶋:そうですね、線から始まりますね。僕は高校から美大までデッサンなど西洋美術を学んだので、普段、絵を描く時は陰影を見てしまいますけれども。例えば、彼のこの服のシワであったら、爆発してるような表現が入ってくるので、それに呼応するような、跳ねるようなシワで行ってみようかなとか、そういうようなことは考えます。

ご自身が身につけた西洋絵画の技法は、現在の木版画制作にどのように影響を与えているのでしょうか? 技法を身につける上で、苦労はありましたか?

野嶋:(木版画や浮世絵の技法に関しては)仕事として浮世絵や仏画を彫っているうちに、見ることと彫ることで、なんとなく自然に(身体に)入ってきたかなという感じです。西洋的なアプローチが無駄になってるかというとそうではなくて。今回浮世絵であるけれども、『影板』(※影を薄いグレー等で描いて摺る版)をつけているんですが、浮世絵に本来影板って入らないことが多いんです。例えばこの爆豪に関しては、ここは黄色2色ですけど、全体の凹凸に対して影の版を作っているんです。これをすることで、一版で色が倍(2色)に増える。緑や赤、各ブロックの色を一回摺った上から、薄墨をかぶせることで、 一つの版でいろんな色と掛け合わせになって、一気に色数が増える。版の節約(版の枚数が無闇に増えないようにする)でもあり、浮世絵でありながら空間の中での現実感を持たせることができる。キャラクターの絵なので、そこに彼らがいるような感じも出したいので、影をつけるときは影版用に原画に影をつけたものを用意します。影版を作る時の『こっちから光が当たったらこれぐらいの感じになるよね』という感覚は高校の時からやってた西洋画の技術が入ってる感じです。だから、線も別に無理して描いてるわけではないんですよ。陰影をつけるやり方も自分の中にあるので。(西洋も浮世絵の画風も)自然に同居した感じですね。

今回、絵師と彫師とを担当されたと思うのですが、普段の制作とどこが大きく異なっていた?

野嶋:「モデルを使ったというのが大きいですね。竹笹堂として作る時に、キャラクターの読み解きを僕だけじゃなくて、工房として行った。『このキャラクターはこういう動きだ』という親方の読み解きをポーズにしてもらって、それを実際にモデルにするっていうのは、キャラクターへのアプローチとしては、個人で作品をつくる時とは違いますね」

ヒロアカを浮世絵にすることに向き合ってみて、率直にどのように感じましたか?

野嶋:今回、ヒロアカのアニメを一気に全部観たうえで今回の僕の絵はアニメを写しているわけではなくて、自分で描いてるんですけど、どのように描いても“彼ら”になる。こういう風な表情だろうとか、こういう風なものをつけているであろうっていう。どういう風に描いてもこのキャラクターになるっていうのは、原作の漫画の先生であったりアニメの作家、監督さんとか、キャラクターを作ってはる方々の描き方っていうのはすごいもんなんやなっていうのを改めて思いました。僕はそれを線で起こすときに、自分で引いてる線っていうのが、描かはったキャラクターからかけ離れてないかを考えてたし、圧倒的な人気のあるキャラクターにアプローチするっていうのは面白いことだなと思いました。キャラクター性が強い作品なので、キャラクター性が強いものに僕らの技で近づいた時に、オリジナルやけどオリジナルじゃなくて、けど技術としては見たことないものになってるよっていうような。そういう行ったり来たりする感じっていうのは、美大とかで教わることでもないですし。今回、僕らに依頼された担当の方が話された内容も聞きながら作ってますので、いろんな人のエネルギーから出てきているもの。なので、より作ってて愛おしいなっていうのがありますね。

本作品は、様々な要素が複雑に絡み合い、違いに呼応しながら生まれました。
今この瞬間に個が呼応し、現代だからこそ生まれた唯一無二のエディション。
それは言い換えれば、“人が生きた証” であるともいえます。

物語(ストーリー)は、主人公一人では完成しない。
ヒーローはたった一人ではない。
たった一人のヒーローは世界を救わない。

歴史と伝統、先端と革新
誰かの力を信じ敬い、さらなる境地を目指す。

自らの信念を貫いた誰かが、一人ひとり、
受け取り手渡し繋いできた証を、
一瞬が結実した煌きを、
本当の意味での伝統の重みを、
あなたの元に。

——あなたが、この先も、ヒーローであり続けられるように。

竹中健司

木版画家

竹中健司Kenji Takenaka

1891年創業、竹中木版五代目摺師。有限会社竹笹堂代表取締役。職人の木版印刷技術を駆使した作品は、ボストン美術館をはじめ海外の著名な美術館に所蔵される。国内外のアーテイストとコラボレーション制作やワークショップ等、木版技術の継承と共に新しい試みを意欲的に行う。2013年、内田喜基氏との共作が世界三大広告賞「ONE SHOW DESIGN (米)」BRONZE PENCIL賞などを受賞。また浮世絵の研究プロジェクトに密着したドキュメントTVが国際的な賞を受賞。共著書「木版画 伝統技法とその意匠」(誠文堂新光社2021年)他著書本多数あり。

野嶋一生

絵師 彫師

野嶋一生Kazuki Nojima

1891年創業竹中木版を母体とする有限会社竹笹堂の彫師、木版画作家。京都木版画工芸組合副理事長ほか、大学にて京都の伝統文化をテーマとした講師を担当。黄綬褒章を受章した菊田流を継ぐ彫師・藤澤洋氏に師事する。浮世絵復刻からグラフィック作品、仏画や護符の修復・新調彫りまで幅広く彫りを手がける。オリジナル木版画作品を発表するほか、絵師としてゲームやアニメキャラクターを木版画のために描き下ろす作画をも得意とし注目される。国内外の講演や実演・ワークショップでも活躍している。